小さかったあの頃


最近、子供の頃の記憶が不意に湧いてくることがある。
昔を懐かしむ歳でもないのだが、何かのきっかけで思い出される。実家に帰ってみても、あの頃に見たものは感じることができない。 体の芯に刻まれている記憶は、子供の目線で見た、今はもう失ってしまった感覚なのだろう。
昨日のことさえ満足に憶えていない今の私では、この記憶を引き出すことができなくなるかもしれない。 思い出すままに小さかった頃のことを書いてみようと思う。


夏の夜

花火を持って真っ暗な田んぼのあぜ道を走っている。
遅れて続く父の姿は暗闇に紛れているが、タバコの赤い火が近づいて来ている。
満天の星空がキラキラと瞬いている。
稲の間を黄緑色の蛍の光が消えたり現われたりして飛び交う。
遅くまで遊んだ夜は目が冴えて眠くならない。
ちょっとカビくさい蚊帳をくぐって布団に横になるが寝つけなかった。
庭を飛んでいた蛍が、部屋に迷い込んできた。
空に瞬く1つの星のような蛍をぼーっと眺めていたら、いつのまにか夢の中に入っていた。 記.03年11月


屋敷杉

実家の居間に飾ってある航空写真を見ると、田んぼの中にポツンと家がある。 家を守るようにとても立派な杉が、裏側に何本もそそり立っていた。昼なお薄暗く湿気がある杉の下では椎茸栽培もしていた。 直径50cmを超える杉が何本もあったが、子供の頃は何かがいる感じがして怖がっていた記憶がある。 その杉も裏の道を広げることになって残らず切られてしまった。 丸裸になった家を初めて見た時、守り神が去ってしまったようでとても淋しく、あの高い杉のてっぺんはどの辺りだったろうかと空を見上げた。 記.03年11月


桑を食べる音

昔からずっと養蚕を営んでいた。春子、夏子、秋子、晩秋、晩晩と、1年に5,6回は置いていたので、かなり本格的にやっていた方だろう。
蚕は日本種、支那種と2種類いた。養蚕はとにかく労働力がかかる。毎晩遅くまで桑をやったり、はなれにある土蔵で、桑の葉を枝から切って下の室(地下の土蔵)の中へ落として次の蚕のエサの用意など、 稲作の時期にもかかるので、両親・祖父は働きづめだった。少しは手伝ったかもしれないが、何の足しにもならなかったんではないだろうか。
だから一家団らんの夕食なんて習慣も無く、各々がパッと食べて、また働くという状態で、居間で1人ポツンと居た子供の頃は、たまに不安になると蚕を置いている納屋へ行っていた。
納屋の戸を開けても、田んぼの水の見回りや他の農作業で、誰も中に居ないこともよくあった。桑をやった後の蚕は食欲旺盛だ。 薄暗くて練炭を焚いたムッと暖かい納屋の中では、蚕が桑を食べる音が「サァー」っと響き渡っていた。
最後の方までがんばっていたが、もう養蚕は廃業した。同じ地域でもやっている農家はもうないと思う。山や河原の桑畑はどうしたんだろうか。
納屋の半分は甥っ子の車の駐車場になっていた。もう使われていない納屋の戸を開けてもねずみ臭いだけだが、目を閉じてあの頃を思うと蚕が桑を食べる音が聞こえてくる。懐かしいような淋しいような音が聞こえてくる。 記.05年09月


雪の夜

恥ずかしい話だが雪がちらつくといまだにワクワクしてくる。同僚は、早くやんで明日の通勤に影響が出なけりゃいいが、と言っているので私も話を合わせるが、心のうちは「積もらないかな」である。 雪の中で遊ぶでもないのに、まだそんなことを思う。
子供の頃は雪が降ったら、手の冷たさも気にしないで、外でずっと遊んでいた。雪に飛び込んだり、雪だるまを何個も作ったり、お昼ご飯を食べる時間も、もったいなかった。
ところで雪の降る音とは?と聞かれれば「しんしん」と答える人がいると思う。雪が静かに積もる様を言っているのだろうが、私は何度かこの音を聞いた。
おもての通りをチェーンを巻いた車が走る「シャンシャンシャン・・」と遠ざかっていく音や、庭の木から積もった雪が落ちる「ドサッ」という音も、ある意味雪の音かもしれない。
雪が周りの音を吸収しているのだろうか、車も走らない深夜の田舎の雪の夜はとても静かだ。
そんな静けさが続くとその音が聞こえてくる。(しん・しん・しん・・)
でもこれは日本人だから持つ感覚なのだろうか?
雪が静かに降り続く山里の夜を想像してみると、やっぱり誰もが聞こえてくるんじゃないかなぁ。 記.05年09月


風呂焚き当番

今の時代では考えられないことかもしれないが、ほんの数年前まで実家では薪を燃やして風呂を沸かしていた。小学校の頃は風呂焚きが私の役目で、夕方になると焚き口にこもっていた。
薪は主に蚕にやる桑の葉が付いていた枝だ。この枝は直径50cmぐらいに束ねて、大きな薪小屋に山積みされ、乾燥している古い方の山から取り出して使っていた。
まず、屋敷杉から枯れ落ちた杉の葉(すぎっぱ)集めてかまどに敷く。その上に桑の枝を並べて杉の葉にマッチで火を着ける。枯れた杉の葉はあっという間に燃え広がり、火力も強いので焚き付けにはもってこいだ。 桑の枝が勢いよく燃え出してから枝を追加し、手で湯加減をみて、最後に製材などで出た木っ端の割れ木をくべる。後は沸くまでほっとくのだが、かなり熱めに沸かしていた。
一番風呂は祖父。これは昔からの決まりだった。まだ荒いちくちくするお湯に後のことも考えて、出来るだけ水を足さないで入っていた。小さい頃は「じいちゃんは熱い風呂が好きなんだ」と思っていた。
夜遅くなるとぬるくなってくる。寒い時期に横着してそのまま入ると出るに出られなくなる。その時はまだ起きている家人を大声で呼んで、薪を燃やしてもらっていた。
「いやんべが?」(いい塩梅かい?)
「もう、ちんとでいやんべだがら、細いのく(焼)べだんでいいど」
こんな会話が夜の風呂場で交わされていた。
小学生に火を使わせる仕事をさせていたのは、今のご時世では考えられないことだろう。田舎ではそれが当たり前なのかもしれないが、近所でも薪の家はほとんど無かったと思う。
養蚕をやめると共に薪も無くなったからか、いつの間にか風呂場がリフォームされていて、今では湯沸しもダイヤルを回せばいいだけだ。
これから死ぬまでに薪の風呂に入る機会はあるのだろうか。
あの薪が燃える音と匂いの中で、だんだんと熱くなる風呂に浸かっている時間は、今考えると贅沢なひと時だったように思える。
焚き口で揺らめく炎を見つめていると夕げの匂いが漂ってくる。私の記憶の中で夕方とはそういうものだった。 記.05年12月


ケーキの日

クリスマスとは、そう思っていた子供の頃。
田舎ではクリスマス色に染まる街中の風景も無く、冬間近の寒々とした田園が広がっているだけだった。
父親にねだって買ってきてもらう大きなケーキと、すでに働いていた兄が買ってくるちょっと変わったケーキ(チョコレートケーキやアイスケーキ)の2種類も食べられる子供にとっては夢のような日。
一応飾り付けもした。よれよれの箱に入っている飾り付けセットは、姉が小さい頃にでも買ってもらったものだろうか。 箱の中身はキラキラした丸い球やフサ,ムギ球の電飾,座布団から引っぱり出したような綿,年々増えていくサンタのロウソクなどなど。
「お父ちゃん、モミの木〜」と言うと、近くの山に軽トラックで出かけて30分も経たないうちに小ぶりな木を持ってきてくれた。
もう冬休みに入っている頃で、毎年必ず「クリスマスキャロル」(だったかな?)という洋画がTVでやっていた。ミュージカル仕立ての映画だったけれど、最後は晴々とした、とっても心温まる内容だった。よし!次の休みにでもツタヤで探してみようかな。 記.05年12月